水害特集「夕田橋の悲劇」その1
2012年8月31日
平成24年7月3日、自分史の中で忘れることのできないトップ5に入ると思われる出来事が発生した。
その状況をできるだけリアルにお伝えし、日常生活や職場などのリスク回避に役立てばと考えています。
それでは始まりです。 その日は朝早くからやけに雨脚が速いと感じる一日のスタートであった。
あまりの雨の多さに中学3年と1年になる子供たちは、学校まで妻が自動車で送ることになった。
まさかこの車とも今日でお別れになるなどと思いもよらずに…。 出社するための身支度を終えるころ、あまりの雨脚の多さにいつもなら自転車か徒歩で近くの職場に出勤する妻が、職場まで送れという。 仕方なく、いつも乗りなれている愛車ではない、自宅玄関先から一番近い位置にある走行距離2千キロ余りの新車で妻を職場へと送った。 すでにその時点で道路はかなりの冠水状態となっていたが、それほどまでの危機感もなく妻を職場に送り、会社へと向かった。
途中、自宅付近を通過するため愛車へ乗り換えようかとふと考えたが、あまりの雨脚の早さにそのまま会社へとハンドルを切った。 この紙一重の判断で、新車との別れが始まった。 途中、北部中学校前の夕田橋には濁流が今にも橋の通路まで押し寄せんかの勢いを見せている。通路規制を行っているようで、登校予定の中学生が立ち往生しているのが見える。
まさか、この橋がもたらす水害が今から起ころうなどとは、このとき、微塵にも感じることなく職場への道を急いだ。
8時10分、いつもより10分以上も遅れての出勤。
まずはデータのバックアップの確認といつもの作業をこなしていく。
雨脚は一向に弱まるどころか激しさを増している。
少し気になり、2階の窓から裏の水路を覗き込むも、いつもとあまり変わりのない水位で水が流れている。 表では会社の前に住む住民が忙しく動き回っている。 少し不安が脳裏をよぎる。川の水位がどうなったのか気になり、傘を差して土手へと急ぐ。 時刻は8時半近くになっていた。
間もなく前の道路が川になろうとする時間が刻々と迫っていることも、この時は、まだ誰も知らない。
水害特集「夕田橋の悲劇」その2
スタッフが雨の中を出勤してきた。
途中の橋の上で渋滞しているのか自動車が進まなかったという。
川の濁流に今にも飲み込まれそうになったという。
この時すでにいたるところで冠水が始まっているため、通勤時の自家用車も思うように進まなかったのだろう。
不安が脳裏をよぎる。 念のため、立ち上げたパソコンをシャットダウンさせ、二階の倉庫に避難させようと作業を始めた。
その時、事務所の前に住む住人が大きな声で叫ぶ。
「水路から水が逆流するから水門を閉める。水が上がってくる。荷物を上げて」と大きな声で叫ぶ。
考えるまでもなく、「パソコンから二階に持って上がって」と叫ぶ。
机の下に潜り込み必死でコードを抜く。抜いたものから次々と二階に持って上がる。
もちろんお客様のバックアップデータもいち早く二階へ。
パソコンは全台無事だったものの、抜いたコードをそのままにして水没、しばらくパソコンが使えなくなることにはもちろん気づいていない。
あとは各自の判断で重要なものが次々と二階へと運ばれていく。
そして、カウンターの中にある書類や書棚の下部にある書類をどんどんと机やカウンターの上に移動させていく。
その時、裏側の引き戸から一気に泥水が浸入してきた。
大きな声で「二階に上がれ」と叫ぶ。
どれだけの時間が経過したのかは記憶にないが、おそらく水が浸入するまでに10分もなかったはずである。
見る見る間に泥水は事務所内を覆い尽くし、しかもその水位は瞬く間に上昇している。
二階の窓から前の道路を見て愕然とする。
道路が川になっている。しかもその水流の速さに、一瞬、身の危険さえ感じる。
今回のポイント なんといってもパソコンのコードにつきます。
外国製品のパソコンであったため、コードの手配に二週間を要し、その間作業が全くできなかった現実はつらいものでした。
水害特集「夕田橋の悲劇」その3
事務所の中の水位が上昇していることも気になりながらも外の景色にくぎ付けとなる。
二階から前方には高校のグランド、その手前の市道が川となり徐々に水かさが増えていく。
市道の前に3台の自動車が止められている。
玄関脇にも1台の乗用車、そして職員駐車場に3台、合計7台の自動車に泥水が迫っている。
その時スタッフの携帯電話に出勤できなかったスタッフから電話が入る。
そばまで来ているが渋滞で事務所のほうに向かえないという。
電話を受けたスタッフが怒鳴り声を上げる。
「来たらだめ。事務所の前は川になっているから近づいたら命が危ない。すぐに家に帰って」
そのやり取りを聞きながら、つい先ほどまでの景色と今の景色の違いに頭の整理がつかない。
そうこうするうちに水量は増え続け、事務所前方の駐車場に止めた自動車はすでにドアミラー近くまで水に浸かっている。
もう、車もだめだろう。
スタッフが勤務先の旦那さんに電話をしている。
聞き耳を立てているつもりはないのだが、狭い倉庫の2階では場所を外すこともできない。
どうもその旦那さんは、スタッフが乗ってきた自動車を取りに来ると言っているようである。
スタッフは激怒している。
「死にたいのか」と言っている。
今の状況がつかめないのだから致し方ないことなのだろうが、妻の安否を気遣う前に愛車の心配をしたことがスタッフを激怒させているようだ。
すかさずこのスタッフは携帯電話で目の前で起きている水害の状況を映して送り付けている。
確かにこれを見れば状況は呑み込めるだろう。
川になった市道にはドラム缶や流木が流れている。
その時、前の高校の境界に建てられていたブロック塀が「ドン」という音とともに水圧で一気に倒される。
水の仕業であることには間違いないのだが、とにかく言葉にならない。
ブロック塀がなくなり、泥水が一気にグランドの中に流れ込み、校舎に向かっている。
その時、高校の校内放送から「生徒は至急2階に避難しなさい」と何度も叫んでいる。
その叫び声が水の恐ろしさをさらに倍加させているようだ。
今回のポイント 出勤してはいけないルールが確立していなかったために、まじめなスタッフは危険な状況下でも出勤しようと動いている。真面目ゆえに危険に対する感覚が鈍化するのかもしれない。 出勤してはいけないルールを作る。しかし、これでも万全ではないだろう。
更なる危機管理が必要となる。
水害特集「夕田橋の悲劇」その4
事務所前の高校のブロック塀が倒れたのはのちに事務所より下流域で撮影されたビデオ解析からおおよそ9時50分ごろであることが判明した。
事務所に水が浸入し始めてから1時間以上の時が経過したことになる。
このブロック塀の倒壊により一気に水の流れが変わり、3分の2近くまで沈んだ自動車が半分近くまで見えるようになった。
もしかしたらこのまま水位が下がるかもしれないと内心喜んだものの、ものの見事にその期待は裏切られた。
水位は下がるどころか再び上昇し始めた。
丸太や根がついたままの杉が事務所の前を通り過ぎて学校のグランドに流れ込んでいく。
今度は隣の倉庫が水圧で流され事務所の軽自動車を川となった道路に押し出した。すると川の流れで自動車は10メートル近く流され、杉の丸太のおかげでそれ以上の動きが止まってしまった。
そんな外の景色に目を奪われているとき、事務所内に「バリバリ」というけたたましい音がする。あわてて階段のそばまで行くと頑丈な扉が水圧で押し曲げられ、一気に水が事務所内の水位を押し上げている。
それまではカウンターや机の上にあった書類は難を逃れており、もしかしたら助かるかもという期待もまた裏切られた。
あっという間に泥水はカウンターを飲み込みきれいな書類を泥水で洗い流し始めた。後の計測で分かることであるが、事務所内の水位が118センチの最高位に達した時である。その時外の水位は130センチであった。
もうなすすべもなしといった光景があたり一面に広がった。
それからどれくらいの時間が経過したかは定かでないが、少しづつ水位が下がり始めた。
あとでスタッフに確認したところ2階から1階に降りたのが午前11時ぐらいということであり。ピーク時の水位から30分ほどで水が引いたことになる。
引き始めると壊れたドアの隙間から泥水とともに靴やスリッパなどの軽いものが、遥かかなたの有明海に向けて旅に出ようとしている。
それを止めることもできず、ただ見送るしかなかった。
水害特集「夕田橋の悲劇」その5
水が引き始めた。
玄関のカウンターを飲み込んでいた泥水は、泥だけをしっかり残し、変わり果てた姿のカウンターにしてしまった。
引き始めてから30分ほどだろうか1階に降りたものの泥の中でなすすべもなかった。
次々と無残にも泥水につかった書類が目の前に現れる。
そして、泥との戦いがスタートした。
何を、どのような順序で復旧に向けて取り組んだか、今となってはその記憶があいまいである。
ただそれからの毎日は、ただ夢中に泥を流し使えるものと使えないものの区別、そして何よりもお客様情報の保護に躍起になる毎日であった。
しかも目の前には7月10日の半年に1回の源泉所得税の納付が迫っている。
使えるパソコンがほとんどない。データはバックアップされているため何ら支障はないものの物理的な設備復旧が整わない。
それでも7月10日の期限に間に合わせるための戦いが続いた。税務当局から申告期限等の延長は可能ですよという連絡はいただいていたものの、問題の先送りでしかない。
どこかで帳尻を合わせるための無理が必要なことは誰しもよく理解していた。
献身的に働くスタッフ、そして復旧のための支援の皆様のおかげで日々復旧へ向けた動きは急ピッチで進められた。
そして奇跡的にも7月10日納付分の源泉所得税納付書は、当日の朝にはお客様の手に届けられることになった。
このまま、少しづつではあるが復旧が進み、新たな事務所に生まれ変わる日も近づくだろうと考えていた。
復旧のために水没したクーラー4台を水害直後に発注した。夏場の暑さ対策を考えれば至極当然の選択肢と考えていた。
しかし、まさか、このクーラーがまたもやその後に発生する水害の被害に遭おうなど、誰しも夢にも思っていなかった。
7月14日の水害後、クーラーの室外機を高く設置変更しました。
水害特集「夕田橋の悲劇」その6
来る日も来る日も泥まみれの書類や備品類を洗い流し、ふき取り、乾かす作業が続いた。
その一方で、5月決算の申告準備が日を追うごとに迫ってくる。
何故か、3月決算に次いで多いのが5月決算、以前からそのための対策は講じてきたものの、まさか水害までは想定していなかった。
掃除をしながらお客様とのやり取り、今思い返しても何をどうやって進めたのかがよく思い出せない。
ただ、がむしゃらにまず期限モノを期限内に提出しよう。
延長申請しても、どこかで追いつかなくてはいけない処理、ならば期限モノだけでも期限内にと連日、スタッフにハッパをかけた。
そうこうしながら1週間が過ぎ、暑さ対策と作業効率アップのためにクーラー4台をいち早く発注した。
今考えれば作業するスペース分のクーラーだけがあれば事足りるのに、急ぎ注文してしまった。
しかも、なぜか発注してわずか1週間ほどで設置を終了した。
それが思わぬ心配事を発生させることになる。
7月3日の水害から10日が過ぎ、水害を受けた地区でもボランティアの応援などでかなりの復旧が進んだ。
しかしにわかに信じがたいことが発生、7月13日は再び雨、雨が降りしきった。もしかしてまた水害に遭うのではないかという思いが脳裏をかすむ。
午前中で業務を切り上げ、再度の水害に備え、パソコン類を2階へと移動させた。仮復旧させたセミナールームには床一面に書類が置かれている。
そのすべての書類をスタッフ全員でテーブルの上に置きなおす作業、なぜかスタッフの段取りが格段と早くなり、何事も経験だと変に感心する。
さらに雨脚は強くなる。
午後3時、スタッフに帰宅を指示、翌朝は絶対に無理をせずに何かあれば必ず連絡をするように伝える。
夕刻まで一人事務所での復旧作業を続ける。雨が降りしきる中を自宅へと帰る。
自宅で雨がやむことを祈りつつ就寝、しかし、その願いは届かなかった。
水害特集「夕田橋の悲劇」その7
7月14日午前4時半に目を覚ます。
仏壇のご先祖とご神前にいつものあいさつをしながらも雨音が気になる。
日課の犬の散歩も雨のため近くの高速道路下のトンネル内の散歩に変更、早々とそれも済ませ、気になる事務所へと車を走らせる。
途中、花月川の水位は7月3日に近い水位になっている。
事務所は今のところ無傷であるものの、あの日の再来が脳裏をよぎる。
事務所の家主があわただしく走り回っている。家主から「危険水位を超えている。危ないからすぐに自宅に帰るように」と説得される。
仕方なく車を花月川沿いから幹線道路沿いに向かわせて家路へと急いだ。
雨はさらに激しく降り注いでいる。途中の高校正門前はすでに冠水状態であり、あと10分遅ければこの車も水没していたかもしれない。
家に帰り、すぐにスタッフに「今日の出勤は危険であり自宅待機とし、不用意に外出をしないよう」連絡網で指示した。
その後そのまま朝食を取るのも忘れて、徒歩で傘を差しながら事務所の方向へ足を進めた。
自宅から事務所まで徒歩で約10分ほどの距離、直線距離にして500メートルあるだろうか。事務所手前200メートルの時点でそれ以上進めない状況になっていた。
冠水し、遠くにあの「夕田橋」が見える。いや正確に見えるのはその「夕田橋」を超えて濁流がまたもや事務所方向に向かって流れているという風景である。
前回は事務所の中からの風景で、外から見ることはできなかったが、今回はどうして濁流が押し寄せてくるのかがこの目ではっきりわかる。
橋の形など全く見えない。初めて見る人はあそこはどうしてあんな水の流れ方をしているのだろうかと思うかもしれない。
ただただ、見つめるしかなかった。
事務所の中がどうなっているのか。心配しても近づくこともできない。
それから1時間ほどしただろうか。雨音もやみ始め、「夕田橋」が無残な姿を見せ始めた。
迂回しながら花月川上流方面から水位が下がるのを確認しながら、「夕田橋」へ近づいた。
すざましいほどの水の力が、この橋に襲い掛かっていたことがわかる。
そして事務所近くまで到達、セミナー室入口の引き戸から水が噴き出している。
室内に溜まった水が室外の水が引いたにもかかわらず、はけ切れずいることがよくわかった。
恐る恐る鍵を外し、引き戸を開ける。中にたまった30センチほどの水が勢いよく流れ出す。
またも室内は一面泥だらけである。ただ、幸いなことに床の上には泥が残っているものの、書類は完ぺきに水没を免れていた。
某メーカーの好意により借りていたコピー機も、足元の部分が少し濡れているだけで何事もないことが一目でわかる。
ただ一つ心配事が発生した。
新品のクーラーの室外機がまたもや水没している。設置して1週間もたっていない。
まさか、まさかもう一度水害に遭うなどと誰もが想定していなかった現実が目の前にある。
水害特集「夕田橋の悲劇」その8
新品のクーラーが使用できるかどうかわからない。ただ乾くまでしばらく電源を入れないようにという指示で静かに時を待つことにする。
ただ、静かに時を待ってはいられない。
セミナールームの床一面に積もった泥が乾く前に、少しでも早く水で洗い流さなくてはいけない。
スタッフは危険回避のため振替休日、一人30メートルのホースをつなぎ、水を洗い流す作業を始めた。
洗い終わったところから妻が雑巾で水をふき取り、新聞紙を広げる作業を始めた。
うれしいことに午後からスタッフとスタッフの息子さんが手伝いに来てくれた。一生懸命にホースで泥を流してくれる。うれしい限りである。
床は2度にわたり水を大量に吸い込んだためにめくれあがり修復不可能の状態であり、板を外さなければつまづいてしまう危険な場所も存在する。
事務所の中にもまた泥水が大量に流れ込んでいる。床を張る前であったことが幸いした。泥を洗い流すことができる。
こうして2度目の水害も泥を洗い流す作業で一日が暮れてしまった。
翌日の日曜日も黙々と作業が続く。水道が井戸水であることが救われる。申し訳ないほどに大量の水を使用している。
この水も雨が降ったおかげなのだけれど、水が起こした仕業を水が洗い流している。しかし、水に流しても元に戻るものともう戻らないものがある。
戻らないものが多い。人間同士の喧嘩なら水に流すことで解決することもあるが、どうも水害はそう簡単には解決しそうもない。
明日は海の日でいつもなら当然休日、しかし今年は振替出勤にしている。少しでもスタッフが業務ができるようにと窓を開け濡れた書類を乾かす。
けれども翌日の7月16日にも事件は起きる。
水害特集「夕田橋の悲劇」その9
7月16日は「海の日」で休日である。しかし、今年は休日出勤をしてもらった。
5月決算を何としても期限内に提出させたいとの一念であった。しかも3月決算に次いで申告件数が多いと来ている。
早朝からスタッフ総出で2階からパソコンを別室のセミナールームに搬入させて業務ができる体制を整える。
床は乾いてはいるものの新聞を敷き詰めた状態、いたるところで板が膨張してめくれあがっている。つまづけば事故のもとであるが、ほかに業務をできる環境がない。
壁際の長机には何段にも書類が積み重ねられている。脚が今にも折れそうである。地震が来れば間違いなく崩れ落ちるであろう。
それでも業務ができることに感謝である。
スタッフが必死でお客様と決算の打ち合わせをしている。
こちらは朝からお客様の事業所に訪問、祝日でも無理を言って決算の打ち合わせ、あっという間に昼になってしまった。
午後から訪問したお客様に今日の午後の雲の発生状況を聞かされる。
にわかに猛烈な雨が降るから気をつけたほうがいいというアドバイスをもらった。
不安な気持ちで事務所に向かう。午後の4時からは8日に予定していた父の13回忌を今日に延ばしてもらった。
明日が命日だけに否応なしにも今日は済ませてしまわなくてはいけない。そんな強い思いで自宅へ向かう。
スタッフには降り始めた雨脚が強くなるようであればパソコンなどの電子機器を再度2階に上げるように指示を出しておいた。
法事が始まるころになると雨脚はひどくなる。昼にお客様から聞かされた情報通りになりつつある。
親父には申し訳ないが法事が法事どころではない。しかし、さりとて法事の席を外すわけにはいかない。長男であり、しかもこのような状況の中で親戚を呼ぶことすらできない。
私と妻とお寺の住職さんの3人での法事が執り行われているからである。
その頃、中学1年になる息子は市内中心部にサッカー仲間からの連絡が入り、自転車で出かけていた。
その後、この息子も一時行方不明となることは想像もしていなかった。
法事の最中にどうにも我慢できず、こそっと席を外し事務所に連絡、パソコンや重要書類を2階に再度搬入していることを聞かされ少し安堵した。
おもむろに法事の席に戻り、住職のお経が終わりお説教を始めるころには雨は最高潮に達していた。
お寺さんをお見送りし、急ぎ事務所に向かった。
焦りは禁物である。途中、自動車の前輪が側溝に脱輪してしまった。何とか周りの方の手助けで側溝からタイヤを戻すことに成功、事務所へと急いだ。
このタイヤ、のちにこの脱輪が原因でパンクしたことが判明するが、このときはそんなことにはお構いなしである。
事務所に着くと同時に搬入書類等を確認して事務所の周りに土嚢を積み上げ、ドアには防水のためのビニールを張り巡らした。
現状でできうる限りの防水対策を施したのち、これ以上事務所にいることは危険であるため、スタッフに帰宅を急がせた。
携帯電話は常にマナーモードにしているため、着信を見逃すことがある。
ふと携帯電話を覗くと妻からの連絡が3度も入っている。このような履歴は過去の経験則から何か自分がしでかしたことが多い。
恐る恐る連絡をしてみると、今度は息子の所在が不明であるという。友達の家を出た後からの行方が分からないという。
この雨の中で自転車に乗って家路を急いだとも考えられないこともない。とりあえず事務所を後にして友達と別れたパトリア(市民会館)に向かう。
途中、冠水しているところもあるため引き返しながら迂回路を探しつつ目的地周辺で息子の捜索が開始された。
探し始めてすぐに妻から子供が確保できた知らせが入る。ほっと一安心である。
一安心すると事務所のことが気になるが、できうる限りの最善を尽くした。後は雨が止んでくれるのを祈るばかりであった。
水害特集「夕田橋の悲劇」その10
あの日から3ヶ月以上の月日が流れた。
この間の時の流れが、今まで感じた時の流れと比べものにならないほどの速さに感じた。ある意味充実した日々だったのかもしれない。
3度目の水害は何とか免れることがきた。その理由の一つには国土交通省が配置した大型排水ポンプ車の活躍が挙げられる。
7月14日の水害で濡れた新品のクーラーも、室外機の基盤部分までは達していなかったようで4台とも無事に作動している。
なんとか4台の入れ替えで終われそうである。
氾濫した花月川は以前の面影はなく、大きな石が所狭しと川を覆い尽くしている。仮復旧した護岸はいつになるかわからない本格復旧を待ち望んでいるようにも見える。
氾濫の原因となった夕田橋は災害前の姿に戻っただけで、同じ量の水が川に流れ込めばまた同じ災害が待ち構えている。
いや、倒壊した高校のブロック塀がより強固となり、もう倒壊することもないかもしれない。そうすると130センチであった水位は、2メートルを超えるであろうことが想像できる。
至る所に水害の傷跡が残ったままであるが、粘り強く、英知を結集して一つ一つ解決していかなくてはならない。
さて、わが事務所は5月決算、7月末申告の法人確定申告書を何とかすべてのお客様の申告手続きを7月31日の期限内に終わらせることができた。
ほっとする間もなく6月決算、7月決算と事務所の復旧と並行しての申告書作成作業は続いた。
事務所の復旧工事はお盆までにはすべてを終え、濡れた書類のうちスキャナー保存に間に合わなかった書類のスキャナー処理も終わり、溶解処理も完了。
最初に水が浸入してきた事務所裏の引き戸は窓に変更することで、水の侵入を窓ガラスが割れない限り阻止できるように改善した。
床も50センチかさ上げして、一般住宅と同じ床の高さにした。主電源などの事務所の頭脳部分も2階へと移動、可能な限りの水害対策を施した。
バックアップデータの保存場所も2か所から3か所に増設、致命傷のリスクを少しでも下げることにした。
この水害、体験したくない水害であったが、体験することで多くのことを学んだ。少しだけかもしれないが東日本の災害の大変さを感じることができたような気がする。
それでも同じ場所で素早く復旧できることの喜びは、福島の方々のことを考えると自分たちは本当に幸せだと感じる。
折角の体験をこのまま眠らせるのはもったいないと「水害からの気づきと対策」にまとめた。
メッセージ
すべては夕田橋から始まりました。
日頃は何気なく見る橋も水かさが増えれば、橋の欠陥が見えてきます。
原因を取り除くことで解決するのかもしれませんが、また新たな課題も見えてくるでしょう。
地球温暖化で九州が、日本が亜熱帯化する気象状況下では、今後もゲリラ豪雨などが頻繁に発生する恐れがあります。
自然との闘いに勝利しようなどとは思うほど浅はかであり、自然との共生の中でしか私たちはこの世の中を過ごすことができません。
ただ、この事実を風化させず、子孫のためにも少しでも自然との共生ができるようにしていくことが、今を生きる私たちの務めではないでしょうか。
共に手を携え、暮らしやすい我が郷土としましょう。(完)
安全対策
花月川の水害から9か月、やっと河川工事が本格化した。
何やら枠がある。何のために作られたのかと考えると、橋の下を潜る重機の安全対策のようです。
事故を未然に防ぐための対策、シンプルでお金をかけずに、それでいて極めて効果的ですね。
もちろん橋の向こう側にも同じものが設置してあります。
これはなんだと思いますか?
動画ではないのでわかりにくいかもしれませんが、ダンプが川に堆積した泥を運び出す際に、タイヤについた汚れを落とすためにこの台車のような上で車輪を回転させているところです。
安全対策だけではありません。道路上に土をできるだけ落とさないための対策も講じています。
移りゆく社会の中で、工事現場も変わっていきます。
最後は春を感じる1枚をどうぞ。
花月川災害復旧
冬から春を通り越して夏の暑さが続いています。春と秋がほんとに短くなりました。
昨年7月3日の九州北部水害から2か月余りで1年を迎えようとしています。
通常の河川工事は水の少ない秋から冬にかけて行われるのですが、今年はそういうわけにはいきません。
同じ災害がまた発生しないよう川の土砂を運び出したり、護岸の改修工事が急ピッチで行われています。
災害事故が発生しないようくれぐれも注意しながら工事を進めていただき、そして、水害が再び発生しなことを祈るばかりです。
花月川氾濫写真展・試写会
梅雨の時期になりました。昨年の九州北部水害から間もなく1年を迎えようとしています。
水害発生直後から急ピッチによる応急工事に始まり、本年度からの本格的な河川復旧工事などが各被災現場で行われています。
この水害は多くの気づきと学びの機会を与えてくれました。
体験したくない体験ではありますが、体験してしまった以上は、この貴重な体験を風化させずに、少しでも多くの方にお知らせして、今後の日常生活や事業におけるリスク回避の一助になればと「花月川氾濫写真展・試写会」を来る7月3日(水)午前10時より午後7時まで当事務所セミナールームで開催することとなりました。
もちろん、入場無料です。都合のよい時間帯でたくさんの方々に、お越しいただければ幸いです。
花月川氾濫写真展・試写会2
6月28日より7月10日(土曜、日曜を除く)まで当事務所セミナールームで「花月川氾濫写真展・試写会」を開催しております。
連日たくさんの方にお越しいただいており、主催者としては少しびっくりしているところです。
昨年を思い出し、同じ災害が来ないことを願痛いのですが、願ってばかりでは何も変わりません。
やはり自分たちでできることから変えていくしかありません。近くの河川工事は無事に終了しました。
花月川氾濫写真展・試写会の御礼
昨日まで開催しておりました「花月川氾濫写真展・試写会」に多くの方が見学にお越しいただき、ありがとうございました。
主催者としてビックリしております。まさか300人近い方がお見えいただくなど、考えも及びませんでした。
さらにビックリなことは、期間中に写真の提供などもいただいて、さらに写真展が充実したことです。
来年以降、どうするのか。
この事実を風化させないためにも、いろんな形でこの事実を後世に残していくことが、求められている気がいたします。
ご協力いただいたみなさん、本当にありがとうございました。
次は、こうしてほしいなどの提案を、是非お寄せいただければ幸いです。感謝
豪雨水害に思う
広島で起きた豪雨水害の被害の大きさに改めて自然災害の恐ろしさを見せつけられた気がします。
ニュースを見るたびに思わず目を覆いたくなる光景が飛び込んできます。
平成24年7月3日、そして7月14日に規模の違いはあるにせよ水害を体験したものとして、他人ごとではいられません。
あの泥水に事務所が半壊し、元に戻るまでに約1ヶ月の時間を要しました。
それでも人的被害が日田市ではなく、広島のような大惨事とならずに済んだことは不幸中の幸いでした。
この違いは何かというと、日田市では明け方からの豪雨により午前八時過ぎあたりから水害の被害が発生したのに対して、広島は真夜中午前3時あたりからの発生であり、この違いは本当に大きいとしか言いようがありません。
被害状況が自分の目である程度確認できるのとそうでないのとは大きな違いであり、日田市でも真夜中の発生であれば多分に人的被害が出たことは想像できます。
日本の気候が、亜熱帯化しているため、今後もこのような集中豪雨は、日本の至る所で発生することでしょう。
もう、それを前提に私たちはこの国土の中で暮らしていくしかないのではないでしょうか。
我が身は我がで守るということが大前提です。
少なくとも広島の水害を見て感じることは、沢の下流域には絶対に住んではいけないということはひしひしと感じます。
どこに住んでいても絶対大丈夫ということはあり得ませんが、水害や地震などあらゆる災害を前提に、常にリスクを考えて生活せねばと考えます。